このブログ記事を読んでボーと想ってました。
「チコちゃんに叱られる」はまずは妻が見ていて、ボクも好きになりました。楽しく知識を学べるというだけでなく、人(大人)に対する問いかけでもあるからです。
www4.nhk.or.jp
http://www4.nhk.or.jp/chikochan/
「いってらっしゃーいってお別れするとき、手を振るのはなぜ?」「かんぱーいってするときにグラスをカチン、あれはなぜするの?」こんな、5才のチコちゃんが問いかける素朴な疑問にあなたは答えられますか?知らないでいると、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られます。すぐに誰かに話したくなる情報満載の、いままで考えたこともなかった雑学クイズ。最新技術で誕生したバーチャルでリアルなMC「チコちゃん」の姿にもご注目ください。【MC】岡村隆史(ナインティナイン)、チコ、塚原愛
このチコちゃんの言う「ボーっと生きてんじゃねえよ!」というのは、自分では考えずに他人(ひと)の意見をそのまま受け入れてしまっている状態、を怒っているように思えます。
それは、どんなことにも疑問を持たなくなった「大人」と、何ごとに対してものの根元的な疑問(「素朴な疑問」とも言う)をいつも持っている5歳児という構図です。
ですからその疑問に大人は虚を突かれます。それはその疑問について考えてなかったのはもちろん、その疑問そのものを気づきもしなかったからです。
こうと考えるということはなにかの疑問・問題に対して答えるという「テスト解答型思考」だけでなく、まず、「どんなことでも先入観なく疑問を持つ」ことが先にあるべきということです。
まず「疑問・問題」を見つけ、それから、そのことに考えて何らかの解答を得る。このセットがあってこそ「考える」ということなのでしょう。
何が問題なのかを見つけ出すことができないから、なんらかの結論(らしきもの)にいきなり飛びついてしまうのでしょう。
そして問題そのものをよく吟味しないと意味ない議論になってしまいます。いくら論理的でも間違っていることはいくらでもあります。問題そのものが間違っているからです。
こうして反知性主義が生まれてくるのかもしれませんね。(論が雑ですが)
で、表題に戻りますが、こんなことをボーっと考えて生きているんだったら、チコちゃんに許してもらえるんじゃないかと・・?